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しましまはちみつ日記

主に自閉っ子兄弟(みっち2012年生&はっち2015年生)の育児日記。

適当なタイトルも思い付かないぐらい何だかどうしようもない

今月になって、2月ほどご無沙汰していた児童館にはっちと遊びに行った。(元々月に1、2回ペースだけど。みっちの時は足繁く通ったのに)

そこで久しぶりに会ったおともだち、みっちの1学年下つまり来春に幼稚園の年少さんになる子どもたちがすっかり成長していてびっくりした。生後半年の赤ちゃん時代から知っている彼らはどう見ても今のみっちよりも発達している。ちょっと計算すれば当然の結果になるのだけど、近頃は同学年との距離が開いていくことにばかり意識していたので、1学年下にも明らかに追い越されていることは忘れていたのだった。

計算というのは、みっちの場合はだいたい0.6掛け。3歳11ヶ月なり4歳ちょうどに0.6を掛けてもまだ2歳前半、一方1学年下の子は既に3歳になっていたり早生まれでも2歳後半になっている。全体が0.6掛けではなく実際は分野毎の凸凹があり、みっちのコミュニケーションや社会性は更に低いかもしれない。

以前何となく計算したところ、みっちとはっちは2歳8ヶ月差の兄弟なので、みっちが小学校に入学する頃に2人の知的レベルや精神年齢(?)が並んで、やがてはっちが追い抜いて行くことになる。

はっちが定型発達であれば。

 

 

はっちも非定型のような気がする。

児童館や遊び場に行く度に「あれ? はっちだけが何だか違う…」と感じることがしばしばある。

1歳になる前から、ずっと気になっている。

 

みっちのことがあるので、神経質になっていたり、個性をネガティブに捉えてしまっているかもしれない。

みっち1歳代の違いは、個性として好ましく思っていた。子育て本などに他の子と比較しないようにしましょうと書いてあるのを文字通りに守って、歩いたり話したりが早くても遅くても興味関心や振舞いが何だか変わっていても「みんなちがってみんないい」と考えるようにしていた。

でも、個性や個人差の範囲では片付けられない、症状や障害として適切な対応や支援が必要な状態の違いもあるのだ。みっちの場合はそうだった。そこにもっと早く気付けばよかった。

 

はっちと同月齢できょうだいの2人目で男児という子を数人知っている。児童館でその子たちを久しぶりに見ると、何となくはっちだけが違う点が目に付く。

未就園児向けの集まりの最中に、参加している0〜3歳児の中ではっち1人だけがちっとも笑顔を見せず(家では笑うのに)先生の掲げる絵本や紙芝居に絵やお話が何であれ注目せず(家では絵本が好きなのに)抱っこして見せようとしても抵抗して背を向けたり最近では脱走を図る。

集まりの前の自由遊びも、人が増えてくるとホールからはいはいで出て行って階段に向かってしまう。1歳後半から2歳のみっちも階段昇降が大好きというかこだわりだったことを思い出す。まさかまたあれに付き合う日々が来るのかorz

 

というわけで先月は公立の発達支援センターに相談に行ったりした(申込みの2ヶ月後、やっと)けれど、明らかな遅滞や医学的な異常(遅滞が0歳1歳でわかるならば結構重い)がないと継続相談という名の様子見をするだけの時期なのだった。まずは1歳半健診で引っかかるのを待つ、みたいな。健診まで数ヶ月、はっちについては長いだろうなあ。(実際はみっち関連でバタバタと過ごすだろう)

みっちが通っている発達専門外来を受診することも検討したけれど、簡単には初診予約が取れない(来月分は受付初日にうっかり出遅れ、電話を掛けても全く繋がらない間に埋まっていた)し、今のはっちは片道1時間以上かかる専門外来に何が何でも連れて行く程なのか、また受診して専門療法の対象になったとしてもみっちのように毎週通えるのか(1歳児と親双方の気力体力的に)と…

 

う〜ん、早く気付けばって思ったけれど、早期発見早期療育と言われるけれど、何だかおかしいって気付いたってあまりどうにもならないではないか。

特性やこれから強くなるこだわりなんかに意識的に対応できるかもしれない、それくらい。

私は既に疲れ果てていて家庭での療育をガンガン頑張ろうとはとても思えないし。(流行りのABAビジネスがいいとも最初から思えていない)

 

はっちと普通の遊び場に行くのも、次第に気が重くなってきた。(みっちについては言わずもがな)

はっち本人は数ヶ月かけてマイペースで(その場を乱しているとも言うが)楽しめるようになってきたのに、何だかもったいない。

まあ、この展開に慣れてる面もあるんだけど。それもいいのだか悪いのだか…