しましまはちみつ日記

主に自閉っ子兄弟(みっち2012年生&はっち2015年生)の育児日記。

(但し……に限る)

えっ、フラワーしげるって西崎憲だったの…今日まで知らなかった…

(2015年に歌集が出ていたことも知らなかった。ちょっと読んでみたいが地元の図書館にないので機会はなさそう)

 

小説「世界の果ての庭」が好きだった。歌集じゃないのに絶版になっていて残念に思っていたら何年も経ってから文庫化されたと知ってほっとした。未だに読み返せないままだけど。

 

いつか再読する日が来るのだろうか。

時間的精神的余裕ができたら(子どもの就学後?)面白く読めるのだろうか。

余裕の有無の問題なのか?

 

 

ハートネットTVで「歌舞伎町俳句一家・屍派」(1月31日放送)を見た時も、そうだった俳句は句会はこんなにも面白いんだった、北大路翼の句集めっちゃ読みたいわ(後日検索したら品切&増刷予定なしだった)と興奮したものの、

様々な生きづらさを抱える人を受け入れている(発達障害双極性障害の人もいた)この場であっても、みっちのように知的障害があると参加しようがない、

そう思い始めると冷めてしまった。

 

仮にみっちの言語能力がそこそこ伸びて俳句らしきものを作れたとしても、句会のような高度に知的なゲームは仕組みも面白さも理解できないだろう。(できるならばみっちは知的障害を伴う自閉症ではないだろう)

「わかる人」「できる人」限定で成り立つ営みだから仕方がない。俳句が文学があらゆるものがUDになるべきだと主張したいのではない。

「どう頑張ってもわからない(であろう)人」「最初から閉め出されている人」の親という立場になって、楽しめなくなっただけだ。

幼児番組「にほんごであそぼ」のごもじもじの歌で「いつでも どこでも 誰にでも 楽しくできるよ すぐできる」と聞いただけでカチンと来る。病んでいるのかもしれない。

 

かつて楽しかったことを捨て切れないから、ふと思い出して調べて勝手に傷付いたりしているのだけど。

 

(付け足し)

(生き様が俳である、ということはあり得るかもしれないが、知的障害の当事者には意味を成さないのではと思う)

(それはさておき北大路翼はやっぱりすごかった。知った当時も今も私とは全く合わなさそうな人だけど…)

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/program/index.html?id=201701312000