しましまはちみつ日記

自閉っ子兄弟(現在年長さん&2歳児)に振り回される、自身もASDな母親業。(向いていない)

選択肢、以前の

支援級の交流授業を見学して、みっちには無理だとか合わないとか思ってしまう。

でもそれはみっちを過小評価しているのでは、とも思う。

 

普通級との交流授業では、支援員が子どもの側にいて個別の指示を出したりしていた。

プリントのここまでお手本のとおりに書くといったことを指示すればその子はゆっくりと書くけれども、高学年のその授業、プリントに書き込んだ内容を理解できているようには見えなかった。自分への指示がない間は何をするのかわからず戸惑っている子もいた。

どう頑張ってもわからない授業への「参加」に1日何時間も費やすなんてもったいないし、本人は辛くはないだろうか、学校で過ごすその時間を子どもの特性や発達のペースに合わせた学習に充てた方が良いと思った。

 

私は体育が苦手で、クラスで1番できなかった。

母の「できないことでも努力することが大切」という言葉を真面目に受け取った私は、体育にも一生懸命取り組んだ。

小中学校のマラソン大会は、本番も練習も(←毎日母に訊かれた)手を抜くことなく全力で走った。なのに途中でサボって歩く人達の方が常に先にゴールする。年々虚しくなった。

大嫌いなバスケットボールもコートにいる間はボールを追って走ったし、待機中はお喋りではなく真面目に見学したり得点板係を引き受けたり保健体育のペーパーテストは学年1位を取ったり、自分のできるところで努力し続けたが、ほとんど評価されなかった。(実技の出来だけで評価するならペーパーテスト廃止してよ…)

いくら頑張っても周囲に追い付けない学校教育での十数年を経て、私は筋金入りの運動嫌いだ。スポーツ観戦も応援もする気ゼロ。

 

知的障害のみっちは、勉強も運動も手先を使う実技科目も就学時点から普通級で要求されるレベルではできないことは明らかだ。

学校生活の全てが私にとっての体育状態で、コミュニケーションにも課題を抱えていて友達付合いが難しいとなると、小学校に行って楽しいだろうか?

地域の幼稚園に通っていないので、みっち本人の希望としての「おともだちと一緒の小学校に行きたい」も存在し得ない。(既に将来への芽を摘み取ってしまっている気もする)

 

いや、できなくてもそれなりに楽しいのかもしれないし、私は重視しないけれど小学校で周囲と同じ当たり前の経験をすることにこそ価値があるのかもしれない。

みっちは私とは別人なのだ。

 

それに知的障害や自閉症じゃなくても≒定型発達児でも、学習内容が理解できなかったり、授業に参加しづらくなったりする子はいくらでもいるのだし、授業がわからないから普通級に入れない訳でもない。

 

学校って何をするところなのだろう。

 

そんなことで思い悩む秋。