しましまはちみつ日記

自閉っ子兄弟(現在就学相談中&2歳児)に振り回されるグレーゾーンな母。(自閉症育児あるある)

あれから7年、みっちの診断からそろそろ3年

私のコミュニケーション能力や社会性は、就職してからそれなりに発達した(せざるを得なかった)と思っている。

幼少時から学生時代については、それはもうひどかった…けれども、当時は自覚がなかったのでどうしようもなかった。

 

当然学校や職場では浮きまくりで、今の子どもだったならばきっと発達障害だのアスペルガー症候群だのと診断名が付いたと思うが、20代半ばで一度そう気付いた時のかかりつけの精神科医(地域の就学判定委員も務めていた)に「あなたは違う」と否定されてしまった。

まだグレーゾーンという言葉が知られていなかった頃で、黒(障害)とまでは言えないということだったのかもしれないし、うつの治療において自分がアスペではないかというこだわりが有害だと判断されたのかもしれない。

20代で自分がASD(グレーゾーンでも)だとわかっていれば、その後の人生は相当違っていただろう。合わない職場にしがみつきながら、独身でひっそりと暮らしていたかもしれない。

 

人生最大の失敗というか誤りは、大学時代だったと思う。

あの大学に、あのサークルに、入らなければ良かった。

親の転勤による転校は仕方がなかったが、大学そしてサークルは自分が選択した。深く考えずに。

 

今は、最初の気付きの十数年前と違って、自閉症発達障害に関する書籍や情報が溢れかえっている。みっちが自閉症だとわかって、自閉症に関する本をたくさん読んだ。障害特性ゆえに苦手な分野にどう対応したらいいか、具体的なサポート方法、SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)、そういう本も何冊も読んだ。

 

そして知ってしまうのだ。学校や職場で自分がどれだけ浮いていたか、嫌われたり煙たがられていたか、よくわからないけど何だか不快だったあれもこれも「頭がおかしい私」を遠ざけるための嫌がらせやいじめやセクハラ・パワハラだったと気付いてしまうのだ。

(先日参加した別の講演会でもSSTのリスクとして触れられていた)

 

大学もサークルもなかったことにしたいし、仕事の人間関係も思い出したくないし、当時の知人とはもう関わりたくない。

 

だけど、自宅から通える地元の大学を選んでいたら…のその先なんて全く想像が付かない。

自己選択だけではなく、無意識の言動、自分の力が及ばない様々な出来事、どれか1つが違っていても、今の生活には至らなかった。

無数のパラレルワールドがあるのかないのか知らないし、あっても向こう側には決して行くことはできないのだ。

 

2011年3月11日の朝に、私@関西と今の夫@東京は、メールアドレスを教え合った。

共通の趣味関係でネットで知り合って、しばらくSNSでやりとりしていて、でも私は職場滞在中は休憩時間もSNSをしていなかったので、何かあった時のために(←単に気持ちが落ち込んでる程度を想定)メールアドレスを教えようと思ったのだ。

その日の午後に東日本大震災が起こるなんて、もちろん予知などしていなかった。

 

それから恋愛したり寿退職したり育児ノイローゼになったり子ども達が自閉症だったり色々あった。

特に長男みっちはかなり育てにくい子で、親子関係は児相介入直前レベルのひどさだ。(その実態はとてもブログには書けない)

だけど、私達が望んだ結果生まれてきた最初の子どもなのだ。

幾多の困難が待ち受けていようとも、みっちを大切に育てたいのだ。

相手をしていると1時間もしないうちにうんざりさせられるか怒りが収まらなくなるか、そんな子どもであっても。

 

日常を、日々起こる様々な出来事を、しっかりと受け止められるようになりたい。