しましまはちみつ日記

自閉っ子兄弟(現在年長さん&2歳児)に振り回される、自身もASDな母親業。(向いていない)

もっとモーニング

タイトルは、はてなハイク風にしてみた。

だって、笑える話じゃないから。

 

 

その前に。

21時半過ぎから、奇妙な叫び声が何度も聞こえてくる。

1つ下の階に住む、(おそらくみっちより重度の自閉症)青年(エレベーターで一緒になることがあり見知っている)が何らかの理由で叫んでいるのだろう。

私の所まで聞こえてくるということは、彼の住居の両隣は相当迷惑に感じていることだろう。同居家族はどう過ごしているのだろう。(注意して止まる程度ならば止めているはずなのだ)

でもね、だからといって彼の在り方を他の誰かが奪っていいわけではない。

 

 

どうして私はいつも疲れ果てていて楽しめそうなことを楽しめずにいて不安や焦燥感に駆られているのか、そのヒントを、とある場で得た。

失ったり傷付けられたり。

何か大きな喪失があって、それをまだ飲み込めていないうちに次の大きな波が突然押し寄せて、その繰り返しで消耗しきってしまったのだ。

子どもが自閉症スペクトラムと判明して障害児の親になる前から、結婚する前から、もう自力で立ち直れないところまで追い詰められていたのだ。

 

ASD特性のせいで現在進行形では理解できなかった様々な過去の傷付き体験もあるし、ASDのせいで起こった出来事(周囲からの嫌がらせ、性被害)も、ASDだけでは説明しきれない出来事も、あった。他者の死という私の力の及びようのないことも何度もあった。

 

その失った1つ1つを、正しく悼むことができないままだった。

その傷の1つ1つを、正しく見極めることができず、ゆえに正しい治し方もわからないまま、40歳になってしまった。

 

ということに今日、気付けたので、

今からでも遅くない、必要な喪の作業(私が行おうとしていることが精神医学だか心理学だかの専門用語に合致するかどうかは素人なのでわからない)をすればいいのだと思う。

そうすれば、きっと、今までよりは、物事を楽しんだり喜んだり、できるようになるだろう。

みっちやはっちへの接し方も適切な方向に変えることができるだろう。

 

「電波オデッセイ」を読み返したいな。

(みっちとの生活で諦めた大人のための本は自宅外に保管しているので手元にない。私がどうしても処分できなかった漫画は「電波オデッセイ」と「究極超人あーる」だけだ…)

 

 

階下の彼はまだ叫んだり泣いたり? している。

そろそろ22時半。

おやすみなさい。